北海道文学散歩

北海道を中心に文学にまつわるエピソードや物語の舞台をめぐる。

Thursday, February 01, 2007

斉藤茂吉

 斎藤茂吉は,明治15年(1882)7月27日山形県で守屋熊次郎の三男として生まれ,15歳の時に斉藤紀一の養子となって勉学に励んだ。卒業後,仕事のかたわら伊藤左千夫の門に入り、歌の勉強をして,明治41年(1908)に「アララギ」の創刊に加わる。昭和28年(1953)2月25日,72歳で没するまで近代短歌の頂点に立ち、歌壇をリ-ドし続けた 。 茂吉より6歳年上の次兄 守屋富太郎は,昭和7年ころ中川村志文内(現 中川町共和)の志文内診療所で拓殖医(この制度は昭和3年北海道各地に補助住民が入ったときに制定されたもの)をつとめていた。茂吉は昭和7年(1932)8月14日、弟の高橋四郎兵衛をつれて中川村の兄の元に訪れ、8月18日まで5日間滞在した。兄 富太郎とは実に17年ぶりの再会だった。この5日間の滞在中に茂吉は,「石泉抄」のなかの「志文内」で47首、「志文内から稚内」の10首をいれると計57首の歌を残した。茂吉は鉄道を佐久駅で下車して,約15kmを天塩川の一支流である安平志内川(あべしないがわ)に沿って歩いて志文内まで行ったが、天気は雨で約4時間の難行軍だった。

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