北海道文学散歩

北海道を中心に文学にまつわるエピソードや物語の舞台をめぐる。

Thursday, March 01, 2007

坂本龍馬と女たち

北原亞以子著「お龍」「枯野」は、坂本龍馬をめぐる二人の女性の物語です。
単行本『埋もれ火』に収録されています。
 お龍は坂本龍馬の妻だった人で、父親楢崎将作は青蓮院宮(しょうれんいんのみや)の侍医でした。つまりは京の人ということです。

龍馬が寺田屋に滞在している時に、伏見奉行所の手の者に踏み込まれました。入浴中に不審に気づいたお龍が階段を駆け上がって急を知らせ、龍馬は難を逃れたことは有名なエピソードです。
二人はその後鹿児島に旅していますが、これが日本における新婚旅行第1号ともいわれています。

龍馬の死後は、土佐の龍馬の実家に身を寄せたりしましたが、やがて再婚して東京で暮らしました。龍馬の影を抱くようにして暮らした晩年はけっして幸福ではありませんでした。

 枯野は、龍馬が剣術修行をした千葉貞吉の娘・佐那の物語です。千葉貞吉は北辰一刀流・千葉周作の弟です。龍馬江戸に出てきた当初は、佐那に軽くあしらわれる程度の腕前だったようです。龍馬弱かったのか、佐那が強すぎたのかは分かりません。龍馬の許婚と自ら語っていますが、この人もけっして幸せでない後半生を生きます。

 日本の夜明けの歯車を大きく廻しながら、凶刃に倒れた坂本龍馬は、今尚日本人好みのスーパーヒーローですが、その陰でひっそりと涙を流していた女性たちがいました。
2007.2.28読了

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Wednesday, February 28, 2007

北海道の歴史と文化

 北海道史研究協議会編・北海道出版企画センター
2006.7.8初版第1刷発行 2007.2.28読了

北海道は歴史が浅いというのが定説となっているが、石器時代にはすでに北海道にヒトが住んでいた痕跡があり、本州等に比べて歴史が浅いわけではありません。

秋葉實・高木崇世芝・西谷榮治など、幅広い世代の郷土史研究家が、それぞれの分野で健筆を振るっていて興味深い本である。中世~近世~近代・現代にかけての貴重な資料の主体性的趣きもある。

大塚和義の手になる松田傳十郎自筆の『阿迪埜踊之記(あゆのおどりのき)』などの新出資料もあり、興味尽きない内容になっている。カラフトアイヌの古借財問題解決に奔走・尽力した松田傳十郎が、その間の顛末を詳述したもの。

合田一道の「タイクンの刀」は、最近新聞紙上等でも話題となっている。

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Tuesday, February 27, 2007

新誌・水滸伝

 谷恒生著『◎新誌・水滸伝◎群生、梁山泊に翔ける』 
河出書房新社1998.3.25初版発行
2007.2.26 読了
 宣和2年(1120)北宋8代目にあたる徽宗皇帝の御世。首都の不夜城・開封は巨大な宝石箱をひっくり返したような、眩いばかりの繁栄と喧騒に彩られていた。

 徽宗皇帝のそばに侍る、開封第1の娼妃・彗妃が語る中国版「千夜一夜物語」の趣きがある。
徽宗の求めに応じて、彗妃が語り聞かせるのは、時代からも、社会の規範からもはみ出してしまった108人の魔性の人たちの綾なす、ファンタジー。

魯智深(ろ・ちしん)・林冲(りん・ちゅう)・宋江(そう・こう)などなど、好漢たちのすさまじいばかりの世直しの活躍を、中国風に誇大かつ爽快に描いている。

 日本で水滸伝といえば、やはり吉川英治の「新・水滸伝」を思い出す人が多いことだろう。
水滸伝のストーリーは中国古典に準じながら、彗妃を登場させたところに新機軸があって興味深い。

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Wednesday, February 21, 2007

ほっかいどう百年物語

北海道のラジオ局STVで放送された内容が本にもなっています。
北海道で活躍し功績を残し、北海道の歴史を築いた有名無名の人たちの物語です。
耳で聞くことが基本となっているためか、誰にでも分かる易しい文章で綴られています。
本州に比べて歴史の厚みが乏しいといわれる北海道ですが、それぞれの人生をかけた壮絶な物語が展開されていて、読むものの心をうちます。
例えば陸別町の開拓の祖といわれる関寛斎という人が居ます。
関寛斎は,千葉県九十九里付近(現東金市)煮生まれ、「蘭学こそ自分の道」と見極め、佐倉順天堂に入塾して学び、長崎遊学を経て、銚子で開業しました。その名声に目をつけた阿波・蜂須賀藩のご典医となりました。
幕末期の日本で屈指の外科医でしたが,戊辰戦争で功を上げながら明治政府への栄達の道を断り,士族の身分も捨てて町医者となりました。金持ちからはしっかりと診療費をとり,貧乏人からは一切金を取らなかったという。それだけでも並みの人物ではないのだが,驚くのは72歳になってから北海道開拓を志し,82歳で自ら命を絶つまで北海道の原野に身を置いたことである。寛斎の夢は,自らの開拓農場から自作農を育成し,トルストイの理想村を実現することであったといいます。
こうした数多くの人たちの物語に興味惹かれます。

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Monday, February 19, 2007

レプンクル

 書名 レプンクル   著者名 松宮 正幸   出版者 文芸社
 とても興味惹かれる1冊です。
石器時代~縄文時代~弥生時代というのが
太古の歴史の流れだと学んだ人は多いと思います。
ところが北海道は縄文~擦文時代へと移行しました。
擦文土器はヘラのようなもので擦った紋様が特徴です。
そんな北海道に住んだ人たちもそれぞれの文化によって
オホーツク文化人やアイヌといった人たちの歴史が刻まれています。
レプンクルとはアイヌ語で「沖の人」の意味です。
最北の島の名前「礼文島」はこの語が起源です。
レプンクルには、外国人あるいは異種人種といったニュアンスも
含まれているようです。
この本は、北海道西部の海岸線に住んでいた人たちの物語です。
ある春の日、主人公シャクマインは羆に襲われた美しい娘チキサニを救います。
ここから波乱万丈の運命の舞台が回りだします。
アイヌ民族の登場に先立つ先史時代の北海道に生きた擦文人とオホーツク人。
歴史から消えた人々の謎を北の大地に追った壮大な叙事詩です。
縄文時代は未開の時代といったこれまでの認識が覆されます。

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Thursday, February 01, 2007

斉藤茂吉

 斎藤茂吉は,明治15年(1882)7月27日山形県で守屋熊次郎の三男として生まれ,15歳の時に斉藤紀一の養子となって勉学に励んだ。卒業後,仕事のかたわら伊藤左千夫の門に入り、歌の勉強をして,明治41年(1908)に「アララギ」の創刊に加わる。昭和28年(1953)2月25日,72歳で没するまで近代短歌の頂点に立ち、歌壇をリ-ドし続けた 。 茂吉より6歳年上の次兄 守屋富太郎は,昭和7年ころ中川村志文内(現 中川町共和)の志文内診療所で拓殖医(この制度は昭和3年北海道各地に補助住民が入ったときに制定されたもの)をつとめていた。茂吉は昭和7年(1932)8月14日、弟の高橋四郎兵衛をつれて中川村の兄の元に訪れ、8月18日まで5日間滞在した。兄 富太郎とは実に17年ぶりの再会だった。この5日間の滞在中に茂吉は,「石泉抄」のなかの「志文内」で47首、「志文内から稚内」の10首をいれると計57首の歌を残した。茂吉は鉄道を佐久駅で下車して,約15kmを天塩川の一支流である安平志内川(あべしないがわ)に沿って歩いて志文内まで行ったが、天気は雨で約4時間の難行軍だった。

利尻島・氷雪の殺人

(内田康夫) 
33歳のフリーのルポライターにして、浅見家の居候浅見光彦は、刑事局長の兄・陽一郎を介して、北海道沖縄開発庁長官から、ある男の死の真相を極秘に調べてほしいと依頼を受ける。その男・富沢春之は、利尻富士の登山道で、凍死体となって発見された。警察は自殺と判断するが、現地へ赴いた浅見は、利尻で「プロメテウスの火矢は氷雪を溶かさない」という富沢が残した謎のメッセージを発見する。その後、死体発見現場で中田絵奈という女性に会った浅見は、富沢が密かに彼女に送った「氷雪の門」と手書きされたCDを託される――。 浅見兄弟の国に対する強い思い。そして、日本を愛し、日本を憂う著者が、日本人が失いかけている「覚悟」をテーマに描き、自衛隊と兵器の売り込む業者との水増しの不正や癒着を徹底的に暴き出します。現実もこれと同じ様な事件が摘発された事があって小説もほぼ同様に進行。手に汗を握ります。
 最北の地は創作意欲を駆り立てるのか、多くの作家が舞台に選んでいます。取材のために利尻島や稚内市を訪れた内田康夫は、稚内の料理店「車屋源氏」で、土地の名物「タコシャブ」に舌鼓を打ちました。北の海が育んだミズダコは、大きなものになると3mを超えるツワモノもいます。

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Wednesday, January 31, 2007

間宮 林蔵

 間宮林蔵を題材に小説を書いているのは、古くは林蔵の研究家として知られる洞道雄、赤羽榮一などから、池波正太郎・五味康祐などの大作家や、北海道出身の芥川賞作家・寒川光太郎、林蔵の地元では取手市長を勤めた海老原一雄等々多士済々で、近年では昨年亡くなった吉村昭が、その生涯を書いている。
 戦前は教科書にまで紹介されて、その探検に対する勇武のほどを賞賛された間宮林蔵だが、戦後はその反動もあって、すっかり忘れられた存在となっていた。
平成8年から稚内市で「林蔵まつり」が復活開催されるようになって、見直される気配もあったが、稚内間宮林蔵顕彰会会長の田上俊三が物故して、その行方も微妙なものになっている。2009年には当人が「間宮海峡」を渡ってから200周年を迎えることから、その業績を再認識する動きも出ている。稚内市宗谷岬に立像、宗谷歴史公園に胸像が置かれている。稚内市第二清浜には「渡樺の地碑」が建っている。

林蔵の恋

 2003年発行 著者 石井 栄三(A6版212ページ)
 文化5年(1808)幕府の命を受けて、松田伝十郎と共に樺太踏査を行った間宮林蔵は、樺太が半島ではなく独立した島であることを確信するが、なお詳細な探査の必要性を感じて、再び樺太を訪れ、翌年東韃靼デレンに置かれていた清朝の仮府まで足を伸ばした。
 帰国後、約10年間に渡って蝦夷地(現・北海道)にとどまり、主に海岸線を歩いて測地を行い、蝦夷全図を完成した。伊能忠敬に「大日本沿海余地全図」の蝦夷部分は、この間宮林蔵制作の蝦夷図が採用されている。
 この作業を行っている時に林蔵は、石狩川上流のペニウンクル(上川)タナシコタンに住む、アイヌメノコ(アイヌの若い女性)アシメノコを見初めて結婚し、一人娘ニヌシマツ(和名・珠)をもうけた。
 間宮林蔵を主人公にした文学作品は数多く発表されているが、間宮林蔵は妻帯しなかったというのが定説となっていた。林蔵の故郷の菩提寺に残された墓石の二人の女性の戒名から推理して、林蔵とアイヌメノコの結婚を題材にしたのは石井の作品のみである。作者は北海道稚内市在住。稚内市から樺太に渡っていった林蔵の、その後にスポットを当て、アイヌに対する優しさをテーマに、林蔵への思い入れの強い作品である。

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