北海道文学散歩

北海道を中心に文学にまつわるエピソードや物語の舞台をめぐる。

Wednesday, January 31, 2007

間宮 林蔵

 間宮林蔵を題材に小説を書いているのは、古くは林蔵の研究家として知られる洞道雄、赤羽榮一などから、池波正太郎・五味康祐などの大作家や、北海道出身の芥川賞作家・寒川光太郎、林蔵の地元では取手市長を勤めた海老原一雄等々多士済々で、近年では昨年亡くなった吉村昭が、その生涯を書いている。
 戦前は教科書にまで紹介されて、その探検に対する勇武のほどを賞賛された間宮林蔵だが、戦後はその反動もあって、すっかり忘れられた存在となっていた。
平成8年から稚内市で「林蔵まつり」が復活開催されるようになって、見直される気配もあったが、稚内間宮林蔵顕彰会会長の田上俊三が物故して、その行方も微妙なものになっている。2009年には当人が「間宮海峡」を渡ってから200周年を迎えることから、その業績を再認識する動きも出ている。稚内市宗谷岬に立像、宗谷歴史公園に胸像が置かれている。稚内市第二清浜には「渡樺の地碑」が建っている。

林蔵の恋

 2003年発行 著者 石井 栄三(A6版212ページ)
 文化5年(1808)幕府の命を受けて、松田伝十郎と共に樺太踏査を行った間宮林蔵は、樺太が半島ではなく独立した島であることを確信するが、なお詳細な探査の必要性を感じて、再び樺太を訪れ、翌年東韃靼デレンに置かれていた清朝の仮府まで足を伸ばした。
 帰国後、約10年間に渡って蝦夷地(現・北海道)にとどまり、主に海岸線を歩いて測地を行い、蝦夷全図を完成した。伊能忠敬に「大日本沿海余地全図」の蝦夷部分は、この間宮林蔵制作の蝦夷図が採用されている。
 この作業を行っている時に林蔵は、石狩川上流のペニウンクル(上川)タナシコタンに住む、アイヌメノコ(アイヌの若い女性)アシメノコを見初めて結婚し、一人娘ニヌシマツ(和名・珠)をもうけた。
 間宮林蔵を主人公にした文学作品は数多く発表されているが、間宮林蔵は妻帯しなかったというのが定説となっていた。林蔵の故郷の菩提寺に残された墓石の二人の女性の戒名から推理して、林蔵とアイヌメノコの結婚を題材にしたのは石井の作品のみである。作者は北海道稚内市在住。稚内市から樺太に渡っていった林蔵の、その後にスポットを当て、アイヌに対する優しさをテーマに、林蔵への思い入れの強い作品である。

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